2015年02月27日

ここは、お祝い事のメリーゴーランド

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最近のホテルは、宿泊だけでなくて、結婚式場にレストラン、プールや美術館いろいろなものが一緒になってるけど、その原型となったのはここだといわれているのが目黒雅叙園

昭和の初期からその形式で営業している、豪華絢爛という言葉がぴったりのこの施設、もともとは料亭なんだよね。
今は結婚式場として有名だけど、東京都の文化財に指定されている『百段階段』も、テレビで何度も紹介されていて有名だね。

そうそう、意外と知られてないけど、ジブリの『千と千尋の神隠し』の舞台『油屋』は、外観は昭和初期のお風呂屋さんや温泉宿がモデルだけど、油屋の中身や施設のモデルとなったのは、この雅叙園だともいわれてるんだよ。
posted by がん治郎 at 00:53 |  |- 中目黒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビートたけしの相方のおかげで有名になったのがここ

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JR目黒駅西口を出て左側の通り、目黒通りが走る坂道を権之助坂っていうんだ。

権之助坂には昔から伝わる名前の由来があるんだけど、そんな由来は知らなくても、権之助坂の名前は知っているという人も多いんじゃないかな。

今では巨匠となってしまった北野武監督の昔の相方『ビートきよし』が歌ってヒット(?)した『雨の権之助坂』という曲があるんだけと、この曲のおかげで、権之助坂は全国区となったんだ。

この曲が出た当時は、この坂にある権之助坂商店街は大変な盛況だったらしくて、この歌の『のぼり』が100本もはためいていたそうなんだ。

とはいっても、さすがに古い話で、今ではギャグとしても通用しないけど、それもそのはずたよね、だってCDじゃなくてレコードで出たんだもん。
posted by がん治郎 at 00:33 |  |- 中目黒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月26日

時代のあだ花のようなスポーツ キックボクシング

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キックボクシングって知ってる?

何年か前、魔裟斗がブレイクした『K-1 MAX』というのがあったけど、その原型の格闘技がキックボクシング。

キックボクシングは、今から40年前にここ目黒で生まれたんだよ。

ボクシングのプロモーター野口修さんが、タイの国技ムエタイを見て「これは日本に紹介すれば当たる」と目黒にジムを設立。
読みは的中して、チャンピオンだった沢村忠は国民的アイドルになったんだ。

今ではすっかり影を潜めてるけど、定期的に試合は行われているよ。

ちなみに、このポスターを撮ったのは4年前なので今はドアの色が変わっているかもしれないけど、真ん中に写っている武田幸三選手は、今では『よしもと』に所属してドラマなんかに出てるんだ。
posted by がん治郎 at 23:56 |  |- 中目黒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

目黒川には、本当は赤が似合う

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目黒川にかかるこの赤い橋を知ってる?

『なかのはし』って言うんだけど、ドラマのロケなどでもよく使われますから、見たことある人も多いんじゃないかな。

目黒川改修工事目黒川は、冬のライトアップで『青いロケーション』が有名になったけど、目黒川の最大のイベントは『桜祭り』。
その時は、川がピンクで染まるから、この橋がもっと鮮やかに見えるんだ。

そうそう、この橋のたもとの『目黒川改修工事のプレート』も、なかなか味があっていいですよ。
posted by がん治郎 at 23:44 |  |- 中目黒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和の時代はパワフルだったのがわかるホテル

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昭和の高度成長期(昭和48)、「大きいことはいいことだ!」なんていうCMも流れていた時代に出来たのがこのホテル。

そのときの名称は『目黒エンペラー』。

本格的なラブホテルという形の建物第1号だといわれてるんだ。

派手な外観だけでなく内装もド派手で、回転ベッドなんていう今の人にはわからないベッドが備え付けられていたりと話題性十分。
その時代に『流行語大賞』があれば、間違いなく受賞していたというほど話題になったホテルなんだ。

回転ベッド以外にも、ブランコや滑り台もあったそうです、『大人の遊園地』なんて言ってテレビで紹介されていたんだよ。もう少し詳しく
posted by がん治郎 at 23:33 |  |- 中目黒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月24日

荻窪小劇場

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荻窪という街は、昔は別荘地だったということで、少し駅から離れると閑静な街並みが続きます。

そんな荻窪にある唯一の小劇場が『荻窪小劇場』。

オーナーさん(現在運営は別会社)がこの劇場を作ったころは、まだ今で言う『小劇場』というジャンルすらなかった時代で、都内でも指折りの歴史を誇る劇場なんですよ。


荻窪小劇場
  |-荻窪小劇場 劇場地図 01
  |-荻窪小劇場 劇場地図 02
  |-荻窪小劇場 劇場地図 03


ロケ地マップイラストマップ座席指定券作成リーフレット作成がん治郎

posted by がん治郎 at 10:56 | 劇場アクセスマップ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

荻窪小劇場 劇場アクセスマップ01

荻窪小劇場アクセスマップ_01.gif


この荻窪小劇場は、昔『アール・コリン』という名前の劇場だったのをご存知ですか?

それくらい知っているという方。

ならば、そのアールコリンで1995年に上演された大人計画の『のろやか』というお芝居。
作・演が『正名僕蔵』だったというのはどうですか。

松尾スズキでもクドカンでもなくて、正名僕蔵なんですよ。


荻窪小劇場
  |-荻窪小劇場 劇場地図 01
  |-荻窪小劇場 劇場地図 02
  |-荻窪小劇場 劇場地図 03









posted by がん治郎 at 10:45 | 劇場街探検隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

荻窪小劇場 劇場アクセスマップ02

荻窪小劇場アクセスマップ_02.gif


荻窪小劇場へ行くときは、JR荻窪駅の南口を出て向かいますが、帰りは、ぜひ青梅街道沿いに坂を上って帰ってください。

なぜかって。

中央線の線路を越えるて坂を下りきるとアーケード街が出現します。

その入口付近に、ラーメン激戦区の元祖荻窪でも1.2を争う名店『春木屋』があるからです。


荻窪小劇場
  |-荻窪小劇場 劇場地図 01
  |-荻窪小劇場 劇場地図 02
  |-荻窪小劇場 劇場地図 03









posted by がん治郎 at 10:38 | 劇場街探検隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

荻窪小劇場 劇場アクセスマップ03

荻窪小劇場アクセスマップ_03.gif


昔、青梅街道の阿佐ヶ谷〜荻窪の間には、数多くの小劇場があったことをご存知ですか?

アールコリン、アール・ヴィゴ、アルテ・パティオ、シアターかもめ座など等。

今でも、数こそ減ってしまいましたが、いくつもの小劇場が立ち並ぶ青梅街道。

小劇場街道としては終点に位置するのが『荻窪小劇場』です。


荻窪小劇場
  |-荻窪小劇場 劇場地図 01
  |-荻窪小劇場 劇場地図 02
  |-荻窪小劇場 劇場地図 03









posted by がん治郎 at 10:33 | 劇場アクセスマップ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

着飾れば、僕らの街だって六本木

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首都高とネオン。もちろん下を走るのは『246』となれば、ここは六本木と思ってしまうかもしれませんが、ここ三軒茶屋です。

デジカメのアートっぽい設定で撮ってみたら、こんな写真が撮れました。

上手に撮ったら、僕らの街も六本木のように華やかに映せるかもしれませんね。

posted by がん治郎 at 09:28 |  |- 三軒茶屋あたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ここに行けば芸能人に会える?

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山手線から見えるこの赤い球体。

最近はあまり話題にならないので、見たことはあっても、なんだか知らない人がいるかも。

超有名自動車学校のオブジェなんです。

おじいちゃんの世代では、あの『山口百恵』が免許を取りに行ったところとして、お父さんの世代では、某有名女性アーティストとが、貸し切りにして教習を受けていたとう伝説がある自動車学校。

いまでも、特定の芸能プロダクションと専属契約しているなんていう『都市伝説』があるほどですから、ここで免許を取れば、芸能人と一緒に『ドライブ』なんとことも…。

posted by がん治郎 at 09:24 |  |- 中目黒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月23日

かわいい看板見っけ

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JR大森駅の近くで見つけた看板です。

こんなかわいい看板に出会えるから、開演前の散策はやめられません。
posted by がん治郎 at 10:41 |  |- 蒲田地区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月21日

あの橋が開閉する前は、渡し舟だったんですね かちどきの渡し跡

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『こち亀』では何度も開いている勝鬨橋ですが、今では東京の観光名所として存在しているだけで、開く姿を見ることはありません。

そんな勝鬨橋が作られたのは1940年(昭和15年)で、それ以前は渡し舟だったそうです。

そのころは、船で渡った対岸の月島には『石川島造船所』などの工場があるだけでしたが、今では『もんじゃ焼き』で有名な観光地。

もうすぐ築地市場も移転となり、築地場外市場も観光地として存続しようと動いているだけに、勝鬨橋にはより一層観光地としての責任がのしかかってくるかも。

ちなみに、この碑のある場所には『かちどき 橋の資料館』という施設があり、橋の開閉をジオラマで再現しているのですが、これがその動画です。もう少し詳しく
posted by がん治郎 at 16:32 |  |- 銀座界隈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

超巨大な獅子頭 築地波除神社

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築地市場のすぐ隣にある『波除(なみよけ)神社』の獅子頭。

江戸時代から、獅子祭りとして知られた波除神社のお祭りでは、たくさんの獅子頭が街をねり歩いたそうです。

今では、この『お歯黒獅子』と『天井大獅子』のふたつだけとなってしまいましたが、今でも、6月の『つきじ獅子祭』では獅子たちがねり歩くそうですよ。
posted by がん治郎 at 16:10 |  |- 銀座界隈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

築地の外国人居留地って知ってます?

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この銅像は、日本の西洋医学(蘭学)の祖『シーボルト』。

1853年にペリーが黒船で来てから、日本は各国と修好通商条約を結部ことになるのですが、その条約が締結されたことにより生まれたのが、築地の外国人居留地。

そのことからこの銅像が建てられたそうなのですが、なぜシーボルトなのでしょう。

シーボルトゆかりの地と言えば、やはり長崎の出島。
シーボルトが開校した鳴滝塾があったのも長崎ですし、江戸に出てきていた時も築地に住んでいたわけではありません。

答えは、シーボルトの娘いねが築地で産院を開業していたから。
さすがにチョッと強引ではありますが、東京という場所は、歴史ですらも日本中から集約してしまう要素があるんですね。

そんなわけで、築地の外国人居留地を知ってもらうための銅像としてシーボルトが選ばれたようです。

ちなみに、築地の外国人居留地は1899年(明治32年)の治外法権撤廃により姿を消すこととなります。
posted by がん治郎 at 13:47 |  |- 銀座界隈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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